2012年3月7日水曜日

3・11

実家跡地(気仙沼市鹿折)
2011.3.11。あれから一年が経とうとしています。気仙沼にある私の実家は津波によって跡形もなく流されてしまいました。街自体が一瞬で無くなると いうことが未だに受け入れることが出来ません。私が育った多賀城でもこんな広範囲で津波が来るなんて誰も考えていなかったと思います。
あの時、私は東京か ら被災地にいる家族や親戚、友人の無事をただ祈ることしか出来ませんでした。何もできない悔しさや苛立ち、メディアを通してみる地元、被災地に行ってどう にかしたいという気持ちでいっぱいでした。震災直後の食料や燃料などの物流がマヒしている中、都内ではスーパーやコンビニなどでの買い占めが目立っていま した。過剰な連鎖反応によって自分を見失った裕福な難民を目の当たりにし、人の愚かさを知りました。自分の身は自分で守るのは当たり前、でも一線を越えれ ばそれはただの欲。
ベネフィットイベントなどが各地で開催され、未だにその流れは続いています。各地で支援目的の販売を行いその売り上げを被災地に寄付する流れは広がり、誰もが何かの形で支援に携わっていたと思います。もちろん自ら被災地へ乗り込み瓦礫撤去などのボランティアを行う人もいました。まず今回の震災でわかったことは、あまり無理をしてはいけないということです。あくまで支援というのは自分の生活が成り立って初めて行えることであって、自分を犠牲にしてまでも被災地の為に支援しているのは体力が持ちません。そういった人達が今だに継続して支援出来てるかというとそうではないように思えます。気持ちが先走るのは分かりますが、リスクは最小限に押さえて支援をしていくのが復興に向けての継続力になるはずです。
震災後、皆それぞれ考えや発言、行動が 確実に変わったはずです。善し悪しは別として、この震災があった時代に生きる意味を考え、ごく普通の生活に戻ったとき、今後の自分のやるべきことが分かるのではないでしょうか。